空色の小瓶3
煮卵がうまい。
男は考えた。きっと、店主が若かった頃は、空が空の色だった頃は、人々の感情は、より激しいものだったのだろうと。
喜びに際しては声をあげて笑い、怒りに際しては目を血走らせ、悲しみに際しては、涙を流したのだろう。
今は、そんなに感情をおもてに出すこともなくなった。公がプライベートをぎりぎりの所まで侵食したせいだろうか。それとも、空を失ったせいだろうか。
俺たちは、嬉しいときや悲しいときは、どこを見ているか。
思考の折り目にカランコロンとドアの開きが挟まった。暖簾を潜ってきたのは、りょろりとした大学生くらいの青年だった。
寝起きの頭に黒渕の眼鏡をかけたその青年は、ヘッドホンをとりなが、カウンターに腰かけた。
男と目線があったので軽く会釈を交わすと、壁にかかったくたびれた商品の札を指差しながら悩んでいた。
店主にオススメを尋ね、どれもうまいと返されたので、餃子定食を注文した。
「よう、兄ちゃん、知ってるか」
「なにをですか?」
「空の詰まった小瓶の話よ」
「カラの小瓶ではなく、空の小瓶ですか」
「そうよ。あると思うかい」
男はいたづらっぽく問うたが、すんなり、
「あると思いますよ」と答えた。
「でも、空が小瓶の中につまるかね」
「んー。でも、色がついたものの中に空をいれても本当に入ってるかどうかわからないし、雨とか雷とかもありますから、ビンくらいの強度がないと保管できないんじゃないですか?」
男は少し頭をかしげて、
「でも、小瓶だぜ?」と不思議そうに問うと
「遠くにあるものは大きく見えるといいますし、簡単に失われたのであればさほど大きくはないのではないのでしょうか」と答えた。
自分がふっておいた話題なのに、男は本当にあるような気がしてきた。
【空色の小瓶3】